2016年07月12日

なかなか書けませんが・・・

しばらくぶりに書きます・・・・

忙しさがなかなか止まず、落ち着いた時間が取れません。

せっかくブログがあるのに何も書かずに置くのももったいないので少し書こうと思います。

もうすぐ本格的に教え始めてから6年経とうとしています。
最近特に感じてきたのは、どうやら人は幼少の頃からの生活環境に強く影響され、
交友関係や親兄弟、TVドラマ、ニュース情報番組など様々な事物にどのような形で触れたかはわかりませんが、その人それぞれに常識があり、その為に僕にも僕の常識があり、その自分の発言が、指導される側の人物には別の常識に置き換えられてしまうことがわかってきました。
これは非常に厄介な問題であり、全く「同じ言葉(ワード)や表現」で指導される側の人物が それまでに出会った別の人物の発言の為に、その人には既に「別の意味」が存在していて、こうしてほしい事が別の解釈を生み、それが世間では圧倒的な意味で捉えられている場合には特に伝わらないことがわかってきました。
例えばAの常識に支配されている人にBの常識を植え付けようとしてもBがあまりにも知らない常識の場合、その城壁は厚く、結局いくら言っても「言葉(ワード)や表現」が同じ為にAとしか理解してもらえない。結果「そうではなくてこういう事です」と言う事がかえって混乱をまねいてしまう。その為にはその手がかりとなる別の「似たような常識」がある必要があり、それが世間一般に存在しなかった場合、その手がかりとなる「考え方を変える」ような言葉(誰でもわかるような)がないとその突破口が開けない。

僕の教える事は特に、考え方や捉え方に関しての指導が多く、この問題で無駄に時間を消費してしまいます。
どうやら日本語の表現が英語に比べ、特に形而上学的な一般的表現が極端に少なく、「こんな感じ」と言ったものが特定しにくい事がわかってきました。どんなにいろんな面から攻めても個人的一般的な常識に縛られてしまった場合、日本語の表現力ではそれを解く方法はかなり難解です。
仮に日本語の語彙を駆使して難しい言葉を入れても、その言葉が「形而上学」のように一般的でない場合、結局伝わらない事には変わりませんから・・

この手の事を書くすぐ批判にさらされそうなのですが、全くもって難しい問題です。


posted by visualization at 03:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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