2016年09月29日

台本の読解力とは何か?

読解力・・・

なんだかまるで読む技術があるかのような言葉ですね。

今まで長年この仕事を続けてきて、「本を読む力」というものがどういうものなのか何となく実体が見えてきました。

結局のところ・・そのような技術は存在しませんね。

登場人物が「このような事」を言っているから「これはここを指している」とかいった学校で教わったような国語的な要素は微塵も無いです。
一時台本の理解は国語力が関係しているのでは?と考え、もう一度国語を勉強し直した時期がありましたが、これは結局無意味でした・・・
人間の発言や考えは、自分を顧みれば答えは明らかです。
自分の考えや行動を正確にかつ機械的に過去からの経緯や動機を推測、または未来の考えや行動を正確に予測するのは不可能。
人間の考えることを決めつけるような、いわゆる「神様的な理解」は難しいと行きつきました。

だからといって何もしなくて良いという訳ではありません。

結局のところ、何か理解出来る便利な「法則的なもの」は何処にも存在しないというわけです。

読解する・・・すなわち「読んで理解する」という事は、理解するだけの下地が必要です。
やはり人間誰しも「知らない事」は 行うことも発言することも考えることも出来ないのです。
例えば自転車にしろ歩行にしろ、「知らないルールを守ることはできない」わけで、交通法規を知らない人が自転車で車道を走れば何かしらの事故は避けられません。歩道についても同じ事が言えます。(この問題ついては思い当たる方も多いのではないでしょうか)知らないやつが悪いという根性論では取り返しのつかない結末も生み出しかねません。そしてそのルールが仮に絶対的に罰則付きで存在するとして、そのルールを知った上で「必要」「必要じゃない」「グレーのままでよい」などの自らの意見を見出し、さらに「なぜ交通法規は必要なのか」まで踏み込んで理解したときにはじめてこの問題の全体像が見えてくるのです。知らなければ偏った情報のみに影響され、あいまいで無責任な憶測の混じったいい加減な発言を生み出す為、個人の責任のある自由な考えや発想や行いは生まれません。(上記はあくまでも「台本の読解力とは何か?」の回のための仮定のエピソードとして挿入したものですので、実際の交通法規に関しては責任は負いかねます)

台本の理解とは。
結局のところ台本を読む以前に、自分の知識と経験に下地がないと いくら読み込んでもあまり進展がなく、辞書で調べても、インターネットの不確かな情報(ネットで調べている時点で不確かかを精査する能力があるのか疑わしい)をアサっても、いくら人から助言されても、それを自分の事のように理解する事が難しいのです。
台本、脚本の場合、それを自分の事のように表現する事が前提の為、演出家等に「これこれこういう解釈で」と説明された場合、その内容に知識と経験がともなわなければ説得力のない演技になってしまう事は避けられません。どんなに表面的に理解しても、自ら表現に意味を創り出せなければ意味がありません。つまり、個人の理解は自らの意思が関係するため、理解するための有効なヒントは存在しない。
その為、かなりの覚悟を決め、時間と生活を犠牲にし、日常的な努力を行う必要がありそうです。

例えば・・・

現代社会はどのような仕組みなのか。
世界はどのような社会性で成り立っているのか。
人間社会の歴史はどのようにして発展または経験を積み重ねて来たか。
何をもってして民族性が構築されているのか
そもそも民族とは何か
民族の歴史
地球の歴史
人類の歴史
世界の歴史
日本の歴史
言語の歴史
貧富とは何か
世界の宗教
宗教の歴史
自由とは
民主主義とは何か
社会主義とは何か
ファジズムとは
帝国主義とは
独裁
共和制
戦争とは
秩序とは
犯罪の定義
独占
自分はどのような人間か
自分の歴史
家族の歴史
自分の先祖
名前の由来
自分は他人とどうかかわって生きているのか
他人は自分以外の人物とどうかかわって生きているのか
会話はどうして成立しているのか
成立していない会話とは何か
自分に出来る事
出来ない事
苦手な事
自分の癖
他人の癖
自分の性癖
他人の性癖
やりたくない事
直視出来る事
直視したくない事
直視したくない現実を認識する
人間の本能、本性とは何か
地球の構造
気象
電気
通信
等々・・・

そして経験もやはり台本を理解する要素として非常に重要で、人間の感情は知識と経験によって引き出されるため、積極的に人とかかわる必要があり、内向的なタイプや引き籠るタイプの人は台本に偏った解釈をしてしまう可能性がるので注意が必要です。またその逆に、無理やり積極的にかかわっても相手の考えや状況を全く無視して自分の考えだけを押し付けるようでは本末転倒です。学生の方は部活動やクラブ活動など集団生活に積極的に かつ建設的に人とかかわる必要があるし、すでに社会に出ている人はアルバイトや就職を、ただ与えられた事だけこなし、全てマニュアル重視思考かつ相手の心に踏み込まない流れでは やはり経験にはなりません。前述のような形で沢山の仕事を経験しても「様々な手順」を知っているにすぎません。機械的にならず、人として積極的に社会にかかわる努力が必要で、そうすることで台本の登場人物の考えが見えてくるというわけです。

全てがかかわりあって台本が成立している為、作者や演出家、作品ににかかわるすべての人々の考え方があり、解釈を決めつける事は非常に難しいのです。
「答えの明確でないことを理解する」事が重要です。知識と経験を増やし、そのうえで台本を読み、読んだその時に感じたことが正解であり同じ理解は二度と起こらないのです。
台本は常に新鮮な解釈が必要、決して一つの解釈に決めつける事は出来ないのです。つまり演技は常に新しい解釈を創造するのです。

そのため自分が得心のいく理解をするには、普段の惜しみなく「まだ知らない知識と経験」への探訪を惜しみなく続けていく事が、結局台本の理解につながっていくという当たり前の結論に達したわけです。


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